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執筆者の写真上原 朋子

「教育」と「education」

こんにちは、


梅雨入りしましたね。ヨーロッパにいた頃はこの季節に日本に帰ってくることはなかったので、7年間梅雨を経験していませんでした。

この独特な空気と匂いが、日本だなぁと感じます。

最近、去年から気になっていたサーキュレーターをようやく購入しました。

部屋の中の空気が循環するので、肌にまとわりつくじめじめから解放されてとても快適です。

苦手なクーラーからの風もサーキュレーターを併用することで自然な風になるし、静かなので睡眠中も気にならない!おすすめです。



ところで最近、ひとつ面白い発見がありました。


私は自分があまり器用でないからか、常に「自分が先生だったらどう教えるのが良いのだろう?」と考えてきました。

いつもそんなことを考えているのでレッスンを聴講することも好きで、留学中は楽器を問わず様々なレッスンやマスタークラスを聴講させてもらってきました。自分の楽器以外の先生の哲学を知りたいがために、できるだけたくさんの室内楽を組んだりもしていました(1ゼメスターに6組組んでしまった時は、流石に後悔しましたが・・・)


今になってもう一度、自分が誰かに教えるということについて考えてみたとき、

その「教える」や「教育」というニュアンスの言葉にとても違和感があることに気づきました。


そこで、教育の訳にあたる英語の「Education」の語源を調べてみると、

ラテン語の「educare」、そしてその意味は


e =外へ

ducare =引き出す


・・・つまりは、その人の持つ可能性を外へ引き出す、ということ。でした。

なにかを付け足したり直したりするのではなく、その人が本来持っている素晴らしい能力を引き出す。これは日本語ではなんと訳せるのでしょう・・・ 

少なくとも、「教育」は「education」とイコールではなさそうです。(pedagogyなら、教育という概念に近いのかな?それでもなんか違いそう。)

ちなみに、ドイツ語で「education」は「Erziehung」、erは外へ、ziehenは引っ張るという意味なので同じですね。

更には「教育」は中国からきた儒教の言葉のようです。


ちなみに、これはご存知の方も多いかも知れませんが、

「表現」は英語で「express」、ドイツ語では「ausdrücken」と訳されます。

どちらも外へ (=ex, aus) 押し出す (=press, drücken) という意味になり、

日本語での「表へ現す」どころではない、凄みというか生々しさがあります。

私はこれを知った時、頭をガツンと殴られたような大きな衝撃を受けました。

人の思考は、話す言語がもつ歴史や文化に、知らずとも影響されているのだなと思った出来事です。


言葉は面白いです。

こんな理屈っぽいハナシ誰も聞いてくれないので(笑)ここにシェアしましたが、読んでくださった皆様ありがとうございます。


それでは!



イヴァンのクラスでのポディウムの様子 @ルツェルン音大

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